声を出して読むと初めてほんとうの素晴らしさがわかる絵本。この迫力、力強さはすごい。すごい、すごい、すごい。
『島ひきおに』 山下明生/文、梶山俊夫/絵
広島の言い伝えを元にした昔話風の物語と方言の入った語り口。でも、いわゆる関西弁ではないので、東北の私にも抵抗なく読める。
昔、小さな島にひとりぼっちで住んでいたおにが、さびしくて、通りかかる鳥や船に向かって
「おーい、こっちゃ きて あそんでいけ!」
と声をかけるが、誰もおにのところになんか来てくれない。
やがて、おには島を引っ張って海を歩き出し、村の近くに着いてはそこに住みつこうとする。しかし、どの村でもあの手この手でおにを追い出しにかかる。
かわいそうなおには、島を引っ張って、何日も何月も何年も、歩いて行くのだった。
おには何も悪いことはしていない。ただ人と仲良く遊びたかっただけだ。それなのに、おにだというだけで、恐れられ、嫌われ、追い出される。
最後もハッピーエンドどころか、おにのさびしさ、悲しさ、哀れさがあふれていて、胸が痛む。
私が読み聞かせを始めたのは、児童館でだった。放課後、学校から解放されて児童館に集まって来た子どもたちはくつろぎきっていて、ふざけたり騒いだりして、静かに聞いてくれないこともあった。
しかし、『島ひきおに』を読み始めると、子どもたちはシーンと静まり返って、聞き入るのだった。
繰り返し出てくる、おにの台詞、
「おーい、こっちゃ きて あそんでいけ!」
を、私は遠くに呼びかけるように長く引いて言う。
この言葉におにの悲哀が込められているように思うから。
終わった後、結構大きい子が「おーい、こっちゃ きて あそんでいけ!」
と口ずさんでいることもあった。
ほんとうに惹きつける力のある絵本だと思う。
けれども、残念なことに今、私はこの絵本を子どもたちの前で読むのを封じている。
私の小学校区は2011年の東日本大震災の折に津波に襲われ、多くの子どもたちが家を失った。今でも仮設住宅から登校してくる子も多い。
その体験が子どもたちの心にどんな傷を残したのだろうか。表面的には元気で陽気な子どもたちだが、もしかしたらその傷は今でも心の底に残っていて、最後におにが海に流され沈んでいくようなこの話を聞いたら、それが痛むのではないか。
そう思うと、まもなく4年経つ今でも、まだこれを読む気にはなれないのだ。
津波を知らない子どもたちの世代になったら、また読めるかな。その頃には私自身も吹っ切れているかな。そうなるといいな。
これは、ほんとに素晴らしい絵本なのだから。