寺村輝夫さんの王さまシリーズなどの絵で有名な和歌山静子さん。1940年生まれとのことだが、若々しくて驚いた。話し方も(よく言われるそうだが)平野レミさん風で、よどみなくいつまでも喋っていられるという感じ。
お話は、次から次へとポンポン飛んで、ついていくのが大変だった。
戦後、子どもの頃の楽しみといえば街頭紙芝居で、紙芝居屋さんが行ってしまった後も集まった異年齢の子どもたちでいろんな遊びをしたという思い出話。
お父様が持っていた「暮しの手帖」の表紙の絵や、花森安治の文章に影響を受けたこと。それからお父様の思い出話がひとしきり続いた。
寺村輝夫さんとの出会いの話になったかと思ったら、ひらがなは縦書きに適しているとか、理論社が倒産して大損害を受け、再建のために奔走したとか、話は飛ぶ。
『ひまわり』を読み聞かせ。
そして、この絵本ができるまでのラフを何種類も見せながら、編集者の方とのやり取りや実際のひまわりの観察で絵や言葉がどう変わっていったかなどお話くださった。
次に堀内誠一さんとの出会いの話。和歌山さんが絵本の在り方について一番影響を受けたのが、堀内誠一さんなのだそうだ。そこで堀内誠一さんの絵本を何冊か読んでくださった。
これは最後にみんなでスイカを食べるところがミソなんだそうだ。どこからスイカが出てきたんだろう?と思って前の絵を見返してみると、最初からいかだの後ろにスイカがプカプカついてきている。それを見つける楽しさもある。「でもこの本、絶版になっちゃったのよね」と残念そうだった。
これは私も持っているのだが、「3びきのくま」のオマージュが入っているとは知らなかった。和歌山さんも息子さんも、気づいたそうだ。
「おやゆびちーちゃん」は完訳版。この本を読んであげた時、息子さんが最後のところで涙を流したそうだ。「王子様と幸せになったんだからいいじゃない」と言ったら、息子さんは「ツバメがかわいそう」と言って泣いたのだと。
それでハッとした。これを描く時に堀内誠一が「ツバメが描けない、ツバメが描けない」と言っていたのを思い出したが、そういうことだったのかと。ツバメをとびきりハンサムに描きたかったのだ。これは、実はツバメの悲恋の物語だった。
息子さんとの思い出の続きで、この「やこうれっしゃ」の話が出た。息子さんが大好きだった。4歳の時に父親を亡くし、母親の和歌山さんも忙しくてなかなか絵本を読んであげられない時、息子さんは字のないこの絵本を何度も読んでいた。実際に夜行列車に乗ったときの思い出も話してくださった。
瀬田貞二さんとの出会いについて触れたかと思ったら、茂田井武(もたいたけし)さんの話に飛んで、
この「セロひきのゴーシュ」の絵の素晴らしさについて。最後にゴーシュが観客の前で1人で演奏する場面、あえてゴーシュの後ろから描いている。ゴーシュの顔は見えないが、観客の顔がみんなゴーシュに集中していて、それによってゴーシュがどんな演奏をしているのか分かるという。
そこから画家の安泰さんの話に飛ぶ。「こねこちゃん」という紙芝居が素晴らしいとのこと。でも、これも品切れになって、今は手に入らない。
和歌山さんは、太い黒線で囲まれたはっきりした絵が特徴だが、松居直さんに言われて他のタイプの絵や版画なども試してみた。それらの絵本も見せてくださったが、確かに見慣れている和歌山さんの絵とはぜんぜん違う。「いいじゃない」と言われたものの、絵本は売れなかった。
それで、結局黒い太線の絵に戻ってきたとのこと。
こうして次から次へとお話が止まらず、予定の2時間を10分オーバーした。質問は受け付けない予定だったのに、和歌山さんが「何かお聞きになりたいことがありますか」と呼びかけたため、お一人が質問。それに対して、答えというよりきっかけをもらった感じでまた和歌山さんの止まらないお話が始まった。
私は次に行かなければならないところがあったので、最初の予定時刻を30分過ぎたところで仕方なく抜けさせていただいた。
講演者としては、時間は守ってもらわないと・・・。また、行き当たりばったりの思いつきで喋りまくるのではなく、きちんと構成を考えてきてくれていたらもっと聞きやすかったと思う。
和歌山静子さん、パワフルすぎ~。