「おめんです」「どうぶついろいろかくれんぼ」などの型抜き、しかけ絵本で絶大な人気を誇るいしかわこうじさんの講演会。
いしかわさんは、トレードマークのカラフルな模様のシャツで登場した。
自己紹介
これまでの経歴は
イラストレーターを20年
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ペーパーわんこ作家を5年
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絵本作家として13年
絵本は50冊ぐらい作った。
絵でコミュニケーションするものなので、外国でも多く出版されている。
ベトナムでは「いろいろかくれんぼ」シリーズを全部翻訳出版してくれて、実際にベトナムへ出向いて読み聞かせ・ワークショップをして来た。そこでの子どもたちの反応が日本とまったく同じだった。
★大型絵本「どうぶついろいろかくれんぼ」読み聞かせ
ひとつずつ「なにかな?」で、わかった人に手を上げてもらって、指してから答えてもらう形式でいつも読んでいるという。
こどものころ
笠原邦彦「おりがみ むしとはな」が大好きだった。子どもには難しいものも多かったが、ハサミを使わずに1枚の紙から作る虫をどうしても作りたくて、何週間も頑張ってやっとできた時は嬉しかった。
大阪万博(1970年)には行けなかったが、そのパンフレットが大好きで、いつも眺めていた。パビリオンの色と形に感動した。
(ここで、子どもの頃の絵や作品を紹介してくださったが、とても素晴らしくて、やはり才能があったのだと納得) 親がとっておいてくれたことに感謝している。
★絵本「パンダくんのおにぎり」読み聞かせ(パワーポイントで投影しながら)
パンダくんがおにぎりを落としてしまい、それを追いかけていくお話。途中、おにぎりが紛らわしいところに飛び込む。おにぎりがどこにあるか、探すゲーム的な場面が何度も出てくる。大人でも注意深く探さないと難しい。
そして、最後は驚きの展開も待っていて、楽しかった。いしかわさんのアドリブ(大人向きの解説?)もおもしろくて、笑いが起こった。
中学時代から絵本作家になるまで
中学時代は、軟式テニスに熱中。
高校時代は、またテニスをやると球拾いからになるから、と美術部に入る。そこで先輩 の影響なども受けて、美術の道へ進むことに。
美術大学に進学。そこで絵・デザイン・写真・理論などみっちり学んだことが、後に絵本のデザインやペーパーわんこの写真を撮るときなどに役に立った。
在学中からイラストレーターの仕事を始め、雑誌の表紙などを描いた。
卒 業後も就職はせず、イラストレーターとなる。1年目は年収40万円ぐらいで苦しかったが、2年目ぐらいからまともに稼げるようになった。
でも、依頼されてする仕事ではなく、自分から発信する仕事がしたくなり、「ペーパーわんこ」を作る。工作絵本として3冊出したが、その後は出版社に「もういいんじゃない?」と言われて終わる。
「どうぶつ いろいろかくれんぼ」を作ったらポプラ社の社長に気に入られ、「のりもの いろいろかくれんぼ」も描くように言われて、2冊一緒に出版。
そこから絵本作家になる。
絵本は深い
レオ・レオニの作品などは、絵だけを見ると抽象画のよう。
子どもでも大人でもおもしろいと思える、国を超えて通じる。
★絵本「つみきくん」読み聞かせ
子どもと積み木で遊んでいて思いついた。お話の絵本にも挑戦するきっかけになった。
しかけえほんの魅力
しかけえほんには「動き」「立体感」「意外性」がある。
例えば「どうぶついろいろかくれんぼ」などでは、ページをめくるときの「動き」、ピタッとはめた時にも穴の部分に「立体感」がある。そして、違う絵が出来上がる「意外性」。
★「たまごのえほん」読み聞かせ
たまごが上下と右に開いて赤ちゃんが生まれる様子を表す。画期的な構造の絵本。
「ふねくんのたび」では、最後のページが大きく開く。
「ハロウィンのかくれんぼ」は、表紙のおばけが蓄光塗料で描かれていて、暗くするとおばけが光るようになっている。
★大型絵本「おめんです」読み聞かせ
日本の伝統的なお面をリアルに描きたいと思って、実際のお面を探して買いに行って描いた。すべてパソコンで描いているのだが、立体感を出すように工夫した。
初めの試作品では、お面が上に開くようになっていたが、せっかくだから動物が自分の手で持って開くようにした方が楽しいと思い、横に開く形にした。
「まねっこえほん」シリーズは、赤ちゃん(娘)との暮らしの中で生まれた。赤ちゃんがだんだんにその動きをまねしてくれるようになる。
いしかわさんは、特に色にはこだわっているようで、外国版が出版されるときにはわざわざ色合せに出向いたり、中国語の題字も自分で書いたりしたそうだ。単純な色に見える絵本でも、かなり時間をかけて吟味して作り上げているとのこと。
これからも楽しい作品を期待しています。